屋久島 

5月29日(土)は屋久島尾之間のボンクラードでライブでした。



屋久島は僕にとってとても大切な場所の一つ。

1997年、大学を辞めてすぐに、バイクに乗り初めて屋久島へ行った。そこでキャンプをしながら旅先でアルバイトして全国を旅しているキャンパーと言われる人種に出会い、彼らの一通りなんでもやれてしまう生活力と自由な行き方に惹かれて、自分もやってみようとキャンプ道具を揃えて、キャンパーとしてその後一年過をごすことになった。


北海道から沖縄までバイクに乗り、年間200日以上テントに泊まり、山に登り、たくさんの人に出会い、お世話になった。ホーミーを自分でやろうと思ったのも北海道の阿寒湖のアイヌコタンで会った旅人がホーミーの真似事をやっていたからだし、生活の柄を知ったのも羅臼町の町営キャンプ場だった。



沖縄を旅した時、名護市ではちょうど辺野古沖にヘリポートができる話が持ち上がった時期で、それの是非を問う市長選が行われていた。たまたま知りあったジャーナリストの取材に同行して、沖縄の人の貴重な話を聞かせてもらったりもした。町がまっぷたつに分かれる辛い状況の中、音楽でなんとか雰囲気を和らげようと毎日ギターを弾き、歌をうたった。選挙が終わったあと名護市の人に、「岡林くんが歌をうたっててくれてほんとうに救われたよ」と言ってもらい、僕は音楽で生きていきたいなと思った。



キャンパーとして日本中を旅した一年間はその後の僕の生活の原点だ。そしてそんな一年の出発点が屋久島なのだ。




今回の旅はボンクラードでのライブの前日に屋久島に上陸して、食料を調達してそのまま山に入り山中で一泊。星の写真を撮影して、宮之浦岳と永田岳を登り下山そしてライブ、というちょっと無謀な計画。天気が晴れたら決行、雨が降れば中止のつもりだったけど、屋久島に上陸した時には天気は曇り。安房で買い出しに立ち寄ったAコープの観光案内所での今夜から明日は概ね晴れとの予報を信じて、島在住の靴職人エグチさんより借りた軽トラにて山へと向かった。



安房からヤクスギランドを抜けて、紀元杉、川上杉を過ぎて淀川登山道入り口についたのが午後4時。それから登山届けを出して、バックパックの中から衣装やCDなど登山には必要ない物を軽トラに残して出発したのが午後4時半。地図によると目的地の投石平(なげし平)までは3時間ちょっとかかるとあるので、日没までに到着するにはかなり急がなければ。

森のなかを半ば走るように進み、淀川小屋を17時ちょっと過ぎ、花之江河に17時40分に到着。ここまでくれば投石平まではあと少し。日没までに辿り着けそうだ。



しばらく休憩して18時ちょっと前に花之江河を出発、山道を再び20分ほど走り目的地の投石平に到着。7人ほどのグループがすでにテントを張って夕食の準備をしていた。荷物をおろしてほっと一息。汗で濡れたシャツに風が気持ちいい。先客の人たちから焼酎のお湯割りをごちそうになったお礼にホーミーを一曲。屋久島の山の中に静かに響く。

花之江河で追い越した人が到着するころには、西の空が少し晴れて光が差してきた。
遠くには永田岳や夕日を映した東シナ海もみている。夜には星が見えるかな、と期待が膨らむ。

投石平は風が強くテント無しの野営は厳しいので、少し歩いた投石岩屋という大きな岩の下にマットと寝袋を広げ夕食を済ませて夜の撮影場所を決めるために岩の上に出る。ちょうどいい感じの場所に三脚とカメラをセットしていたら、西の空に三日月とふたご座が顔を出した。
しばらく眺めていたけど西の空以外は相変わらず雲におおわれたままなので、岩を降りて寝袋に入る。岩の間から見える空を気にしながら、いつの間にか寝てしまった。


その2へつづく。

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