2005.3.15 《Netherland》

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運河のほとり、のっぽのオランダ人ディエドリックと
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運河に面したcafe、天井には水面に発射した光がユラユラ
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へんな兎とユトレヒト郵便局
この郵便局の中はどうなっているかというと…
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こんなです
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** 2005/03/15 – Utrecht [ひとさがし] **

ロンドン・スタンステッド空港からオランダへ。
飛行機の座席に座っているのもまだつらいのに、僕の乗ったライアンエアの飛行機ときたら車輪を支える軸が胴体を突き破り客室に突きでるんじゃないかと思うようなひどい着陸!
それでもなんとか無事、オランダのどの辺りかはよくわからない地方都市 Eindhoven の小さな空港へとおりたった。空港を出てすぐのところにバスが停まっていて、尋ねるとセントラルステイションへ行くという。3,2ユーロをはらってとりあえず駅へ行くことにした。駅についてすぐ、電光掲示板にユトレヒト行きの列車を発見、切符12ユーロを買い少し待って列車に乗込む。45分後、目的地であるユトレヒト到着。あのひどい着陸から2時間弱。順調だ。それだけでこの国が好きになる。

この街へやってきたのはあるモンゴル人の画家に再会するためだ。
彼と出会ったのは2002年12月、初めてユトレヒトに来た日、クリスマス前の楽しげな雰囲気の旧市街の街角で馬頭琴を弾いている時だった。
彼はしばらく演奏を聴いてから、僕に20ユーロ札を渡して、今日は終わりにして一緒に飲もうと言い、僕らは近くのパブへ入った。彼の名はゲレルといい、オランダで美術を勉強したこと、その後アメリカに渡って街角で似顔絵を描きながらしばらく放浪したこと、オランダに帰ってからは画家として生計をたてていることなどを話し、そんな彼の話を僕は、こんなモンゴル人がいるんだなあと、驚きと喜びとに高揚しながら聞いていた。

次の日、ユトレヒト市のシンボル、ドーム(高さ100メートル以上はありそうなゴシックの大聖堂)の横にある彼のアトリエを訪ねた。建物の一階は新しいオフィスになっていて、オランダ・スペイン協会と書いてある。聞いてみると、そんなアトリエはここにはないという。引越しでもしたのだろうとあきらめて、彼と出会った場所で、旧市街で場所を変えながら3-4時間弾いてみた。しかし奇跡は起こらなかった。
最後の望み、彼の家を探すことに。おぼろげな記憶を頼りにバス停へ。何台ものバスをやり過ごしているうちに、一台のバスが記憶の中のバスと重なった。そのバスに乗りこみ、注意深く窓の外を観察しながら、自分が正しいバスを捕まえたことを確信。彼のアパートのそばのバス停でバスを降り、一番奥の入り口、そして最上階へ駆け上がる。

そこには美大の学生が住んでいた。彼は一年前にモンゴルへ帰ったという。

今年の夏、モンゴルで彼に会うのが楽しみだ。
その時は今日のことを彼に話そう。

 

 

 

** 2005/03/20 – Amsterdam → Berlin [車窓から vol.1] **

朝9時9分、アムステルダム出発。オランダは人口密度が高いと聞いたけど、30分も走るとそこはもうのどかな牧草地だ。同じ草原でもモンゴルとはまるで雰囲気が違う。運河が流れ、その上をかなり大きな船が行き来しているためと、運河や道に沿って並木が見えているからか。草もしっとりと柔らかそうで、モンゴルの草よりも色が濃い。どこまでも平らだ。列車を2度の乗り換え、12時に国境の町 Enschede についた。ここから先はいよいよドイツ国鉄に乗り換える。
ドイツ国鉄には休日パスという日本の18切符のような格安切符がある。
昨年1月、Koln から Ludwigshafen へ「青騎士展」を見に行ったとき、60ユーロの切符をなぜか30ユーロで買えたことがあった。展覧会のパンフレットを見せながら、その町のあまりの遠さに一度はがっかりしながらも結局は片道4時間かかる鈍行列車を買い求める東洋人を哀れに思って、切符を半額で売ってくれたのだと思ったのだけれど、ずいぶん後でそれが休日切符だったと知った。今日はそれでベルリンまでのんびり行くことにした。
オランダの列車よりも新しい、簡素な固めの座席がとても乗り心地のいいドイツの列車に乗り込む。
パスポートコントロールも無く、国境も分からないままいつのまにかドイツの町に着く。大きな風力発電の風車がいくつも並んでいる。牧草地は減ってだんだん森林が多くなってくる。しかし相変わらず平らだ。
乗客はどうやらみなドイツ人のようだ。オランダ語よりもよりカタカナとして耳に届いてくる。

あまりに単調な景色に、「車窓から」はあきらめ、友達にもらったハイネケンをチーズをつまみに3本あける。ほろ酔い気分で出国前下北沢の古本屋で買った大江健三郎の「日本の私からの手紙」を読んだ。ちょうどドイツにやってきたこともあってギュンター・グラスとの往復書簡の中のグラスの主張、第二次大戦下のドイツで処刑された2万人の脱走兵の名誉回復を求める、が心に残った。
ナチスのプロパガンダに対し勇敢にNOといい得た2万人の彼ら=卑怯者たちこそ終戦後の平和を体験することを許されたわれわれすべてから尊敬されるべきなのだ、と。

「車窓から」というタイトルからは大きく脱線したけれど、僕を乗せたドイツ国鉄の列車は定刻どおり21時50分、ベルリン・アレクサンダー広場駅に到着。今日の13時間の列車の旅は終わった。